そもそも何のため?現代文が大学入試で課される意味とは
こんにちは、ガウスです!
今回は
なぜ国立大学受験生の多くは
2次試験で現代文が課されるのか
についてお伝えします。
「日本語は毎日使ってるし、
そもそも2次試験の難易度の
評論文なんか普段読まないんだから
受験生を試しても意味ないし、
結局差がつかないじゃん…」
あなたもこう考えていませんか?
この記事を読まなければ
あなたはそもそもなぜ
国立大学が2次試験で現代文を課すのか
その大学側の意図を
知らないままただいやいや毎日
現代文を解き続けることになります。
いくら学校や予備校で現代文を勉強しても
「こんなの面白くない。」
「大学に入ったら専門科目に
力を入れるからこんなに
現代文頑張ったって意味ないじゃん…」
あなたは
現代文⇔退屈な科目
という固定観念を持ったまま
受験勉強するはめになります。
こんなことではいつまで経っても
現代文の成績は偏差値70には
到達しません。
いつまでも上がらない自分の
成績に目を背けるばかりで
周りのライバル達との
差は開いていく一方です
そうは言っても
でも勉強に限らず楽しくない
ことは続けられないですよね?
でも大丈夫。
この記事さえ読めば
あなたは現代文に対する考え方が
変わり、大学側がなぜ文系の
受験生に現代文を課すのかを知る
ことでその必要性を感じて現代文を
勉強する気が湧き起こってきます!
そして
現代文が受験科目としてだけでは
なく大学生として必要な教養の
1つだと分かれば
漠然と読んでいた
小難しい評論文の内容でさえも
興味が湧き、魅力あるもの
に思えるでしょう。
もし現代文が元々得意だという
友達がいればその友達がこれまで
以上に賢く見え、その人が持つ
素晴らしい人間性に気付く
きっかけになるかもしれません。
もしあなたがそんな新しい見識を
持って友達に接することができれば
大学側が求めるとても魅力ある人間
になれると思いませんか?
それにはまず
文系の学生に現代文の試験を課す
大学側の意図を知っておきましょう。
その意図とは、
大学で学ぶ文理の如何を問わない
専門科目のすべてが研究者による
論文から学ぶことになるため、
大学側は
文章を読めない学生を
ふるいにかけたい
からです。
どんな分野の議論であれ、そこで
交換されるのは“言葉”です。自ら考え
相手と議論を交わすにはその話題の論文
を理解することが必須条件だからです。
これを聞いてそんなの当たり前だ
と思いましたか?
しかし
あなたは普段からこのことを意識して
現代文を読んできたでしょうか?
意識するのとしないのとでは大きな
違いが生まれます。
さあ大学側の意図が分かれば即行動です。
例示すると
昨日扱われた評論文にもう一度
目を通してみて下さい。
その論文はあなたが将来大学で
学ぶ内容かもしれないと考えると
いつもよりワクワクしてきませんか?
科学論文であれば、使用される語彙は
幾分か難しいものですが、あなたに
その入り口を覗かせてくれる素晴らしい
もののように感じられることでしょう。
ここまで言われると現代文に
対する見方がπとはいわないまでも
1/4πくらいは変わった
のではないのでしょうか?
考え方が変われば
行動が変わります。
これであなたは今後現代文をいやいや
解くことはなくなるでしょう。
あなたの現代文に対する残りの
3/4πの偏見は私の今後の記事で
次第に0に収束していくはずです。
上記の通り、現代文力は大学生
になって専門課程を履修する上で
重要なスキルです。
それを理解した上で現代文の
素晴らしさを感じることが
できれば、あなたは楽しく評論文
を読めるでしょう。
以上の考え方をもつことが大切です。
ぜひとも今日から
現代文の重要性を理解して
その楽しさを享受し、日々の
問題演習を有意義なものに
しましょう!
その先には笑顔の春が待っています。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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